浄土真宗は如来蔵思想の一種
2017/03/20
浄土教は、特にインドにおいてどのように変遷したのか分かりづらいところがあります。龍樹菩薩が、浄土思想を最後に顕揚されたのは確かなようですが、その後の発展過程はハッキリしませんね。世親菩薩が、浄土論を書いたことから、インドに浄土教の伝承があった事は間違いないですし、中国には、菩提流志によって伝えられたこともハッキリしていますが、玄奘三蔵がインドに行った時は、浄土教思想よりも兜率生天の思想が盛んだったというように書いてあります。源信僧都はこれを問答の中に引用してこの現象を別に気にすることはないと書いておられますが、実際にチベット仏教に浄土教が伝わっていないので、だんだんに衰えていったように思います。
インドでは、中観思想、唯識思想の二大思想があり、浄土教思想は、これらの属宗のような形で発展したと思われます。ここで面白いのは、中観思想と唯識思想の双方で浄土教が取り上げられている点でしょうか。但し、浄土教は在家仏教のような所がありますので、どれだけ出家僧がこの思想を取り入れたか疑問を感じます。
浄土教とほぼ同時期かそれより遅く発展した思想に如来蔵思想がありますね。これも独立した思想ではなくて、属宗的な存在ですが、どちらかというと、当初は中観派の属宗であったように思われます。何故なら、宝性論の記述は中観帰謬論証派の思想に近いものがあるからです。しかし、この後、唯識と如来蔵思想の統合というようなことがおきますね。『楞伽経』や『大乗起信論』などは、唯識思想と如来蔵思想のミックスした思想のようなところがあります。ただし、唯識思想でもかなり後期の思想になると思います。前にも述べたように唯識の阿頼耶識の根拠と如来蔵の根拠が同一ということがあり、つまり、そのために一面では阿頼耶識と呼び、また一面から見れば如来蔵と呼ぶということになり、このような理由から如来蔵思想が唯識思想に統合されたのだと思われます。
ただし、少し変なのが、如来蔵思想は一乗思想であるはずで、唯識思想は三乗思想なのです。この点が相容れないので、統合するにも相性が悪いと思うのは私だけでしょうか。『大乗起信論』は巧みにこれらを統合して、如来蔵思想で弱い修行論を増強していますね。
如来蔵思想は、聖道門思想として顕わされている点が浄土教と少し異なりますので、出家僧にも受け入れられたのではないかと思います。ただ、この眼目は、信心にあり「資糧道に入る」ことを目的にしたもので、それ以降の修行については例えば中観や密教などに譲られて行ったのではないかと思います[1]宝性論などの論書を読むと修行論が説いてないことでその事がうかがえます。。
如来蔵思想の経典としては『維摩経』や『勝鬘経』が有名です。日本仏教は、聖徳太子がこれらのお経を解釈していることから、如来蔵思想が日本仏教の原点としてあったとも言えると思います[2] … Continue reading。
如来蔵思想が信心という所に眼目を置くのは在家思想に通じている点なので、浄土教と通じるところが多くございますね。ですから、宝性論も最後に阿弥陀仏に帰依して終わる形を取ります。それに、聖道門では、資糧道に入ると仏子となり、悪道に堕ちなくなると教えており、これも浄土真宗に通じますので、興味深いです。
チベット仏教などを勉強して思うのは、聖道門の方は、ひとまず資糧道に入ることを一つのマイルストーンにしている事が分かりますね[3]不退転位は高すぎてマイルストーンとして設定できないのだと思います。。ここに入るには菩提心を起こす必要があります。これも浄土の菩提心と通じるところがあります。
また、如来蔵は、如来を胎児していると考えますが、これも浄土教では、阿弥陀仏を親様と呼ぶところが信仰的に通じています。だから、浄土教は如来蔵思想として聖道門でも方便として受け入れられたということだと思います。また如来蔵思想は、果上の法門ということで、やがて密教に吸収されていきます。
こういう点を考えて、宝性論の研究など日本でもなされるのが良いと思っています。