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草木国土悉皆成仏のこと

   


日本へ入ってきた如来蔵思想は、中国で変容したものでした。天台宗の荊渓が書いた『金剛錍論』に草木成仏が説かれるところが起源となり、中国では無情仏性が説かれるようになりました。無情仏性はインドでは説かれなかった思想です。この思想が日本に入ってきて、山川草木悉有仏性とか、草木国土悉皆成仏[1]唯信鈔文意 正嘉本参照という言葉で語られる本覚思想となったのです。

 荊渓がとなえた無情仏性の根拠は、依正不二の立場から、依報である器世間にも仏性があるというものです。このような考え方は、華厳宗でも主張されるようになり、真言宗や禅宗でも、この思想を積極的に取り入れたようで、特に日本では自然を指して“法身”を指すようになります。つまり、山川草木(自然)を指して法身という訳ですね。瑞剱先生もこの表現をよく使われているのですが、私には最初よく分らなかった内容でした。何故分らなかったかというと、山川草木も現象というべきで、その現象を指して真如である法身というのは道理が合わないと思ったからです。

 これは私の不勉強から来たものですが、三論宗では「法身は無声に声を起こし」ということを説いており、無声の声や、無形の形という点を指して法身というならば、それ自体は問題ないことになりますね。真言宗の法身説法などはこういうところを指しています。

 例えば、法身証誠と言われるものがあります[2]愚禿鈔上参考のこと
これはお釈迦様が最後に悪魔と戦って勝った時のエピソードをモチーフにした法蔵菩薩の成道の話で、重誓偈の後に「この願もし剋果せば、大千まさに感動すべし。虚空の諸天人、まさに珍妙の華を雨(あめふ)らすべし。」とあり、その後に実際に「空中にして讃じてのたまはく、 決定してかならず無上正覚を成じたまふべし」という天からの言葉が紹介されています。法然上人はこれを大変重視されていて、阿弥陀仏はこの時既に成仏されることが決まったのだ、というような説明がなされています。

 この天人の声こそが、法身説法といわれるもので、無声に声を起したところですね。このような法身説法を聖者は聞くことができることから、このような仏性論が出てくるのだと思います。但し、これは一切衆生悉有仏性と言われた原意からは離れた議論かもしれません。この発展思想を受用できるかどうかはその人の器なのかもしれませんが、私は未だなかなか気軽にはできないですね。

 結論的に申し上げると、この思想は本覚思想として特に日本で発展しました。また、如来蔵思想もそうですが、誤解の多い思想でもありましたね。如来蔵思想は、固定的仏性を考えさせてしまうし、本覚思想になると、既に仏だというような間違えに堕し、修行をおろそかにする僧侶等が出てきたようですのですし、山川草木悉有仏性は精霊思想などと融合して変わった方向に発展した感はあります。

 こういう発展思想はよく背景を理解しておかないと邪説と紙一重というところがあるので、気をつけないといけないということでしょうか。


脚注

1 唯信鈔文意 正嘉本参照
2 愚禿鈔上参考のこと

 - 仏教学