内外反対にせよ
前の団体の癖というか、善を勧めながら、方便と称して嘘を平気でいう問題などがありますが、
瑞剱先生は、そういうようなことに対して警告をしていまして、そんなことをしていると外面菩薩で内心夜叉のような人間になってしまうぞと言っておられます。
私たちは外側を取り繕うことをよく考えてしまいますが、そんなことをせずとも良いということで、その逆でそういう心がけは心にすべきであって、スボラで怠惰な心は外に出してしまえというのですね。
これは選択集の中で法然上人がおっしゃっています。
善導大師の「不得外現 賢善精進之相、内懐虚仮」の文について次のように教えておられます。
外は内に対する辞なり。いはく外相と内心と不調の意なり。すなはちこれ外は智、内は愚なり。賢といふは愚に対する言なり。いはく外はこれ賢、内はすなはち愚なり。善は悪に対する辞なり。 いはく外はこれ善、内はすなはち悪なり。精進は懈怠に対する言なり。いはく外には精進の相を示し、内にはすなはち懈怠の心を懐く。もしそれ外を翻じて内に蓄へば、まことに出要に備ふべし。「内に虚仮を懐く」と等とは、内は外に対する辞なり。いはく内心と外相と不調の意なり。すなはちこれ内は虚、外は実なり。虚は実に対する言なり。いはく内は虚、外は実なるものなり。仮は真に対する辞なり。いはく内は仮、外は真なり。もしそれ内を翻じて外に播さば、また出要に足りぬべし。
この文を読んでよく考えるべきです。
また、瑞剱先生のお父様は信者さんだったために、よく妙好人が尋ねて来たそうです。
その度に、お父様は瑞剱先生に、「あんな真似せんでいいからな~」と言われたそうです。
「ああいうのをいいものだと思うなよ」と注意されました。
先生は説法で時々妙好人の話をされました。その度にその妙好人の本を買って先生のところに持って行くと、 「こういう妙好人伝は毒だから読むな」と言われました。 どうしても私たちは、その人の行動ばかり追ってしまうのですね。 そういうことをしないと救われないように思ってしまうわけです。 そういう所は注意しないといけないと思います。