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遮詮法と非定立的否定

      2019/10/02


あらゆる存在(一切法)の分類として、証成法か遮詮法かという切り口がある。 証成法は、対象を否定的に分析することなく理解しうる存在、つまりそれ自体を認識するのに、否定すべきものの概念を捉える必要がない存在。

遮詮法は、否定的対象を分析して初めて理解しうる存在。つまりそれ自体の概念を理解するのに、否定すべきものの概念を捉える必要がある存在のこと。

遮詮法にも、定立的否定によるものと、非定立的否定によるものに分けられる。
定立的否定とは、相対的否定のことで、つまり否定対象の他に何らかの存在を含意した否定のことである。例えば、「あの比丘は太っているのに、戒律を守って午後は何も食べない」というとき、暗に「午前にたくさん食べている」という意味を含んでいる。あるいは、自分は俗人だということを示すときに、「私は比丘でない」という場合も、これと同様である。

非定立的否定とは、絶対的否定のことで、つまり否定対象の存在を単純に否定するだけのもの。例えば「比丘は酒を飲まない」というとき、この言葉それ自体は、何か他の意味は含んではいない。

無我や無自性は非定立的否定である。
(チベットの般若心経より意のみ)
これをよんだ時に、親鸞聖人の教行信証の信巻に出てくる次の文などはどうなのかと考えたことがありました。
修行久近↡、非↠行↠善、非↠頓↠漸、非↠定↠散、非↢正観↡非↢邪観↡、非↢有念↡非↢无念↡、非↢尋常↡非↢臨終↡、非↢多念↡非↢一念↡、唯是不可思議不可説不可信楽也

 - 法雷窟