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乞食桃水「隘(せま)けれど宿を貸すぞや阿弥陀どの、後生頼むとおぼしめすなよ」

      2017/04/10


 表題は先生がよく話された乞食桃水の話です。

 桃水は江戸時代の曹洞宗の和尚さんで、管長になる所まで行った人ですが、名利を嫌い、蓑をまとい乞食隊裡に隠れ、あるいは草鞋を編んで糊口をしのぎ、最後は、京都洛北で酢を売って暮らした人で、世に“乞食桃水”と呼ばれています。

 『乞食桃水逸話選』という本があるので、読まれると分かると思いますが、乞食になっても、まるで遊戯三昧で暮らしているというか、四摂事を心から実行をされた方でその生き方には驚かされます。弟子がどうか戻って下さいと懇願し、暫く一緒に寝泊まりしたのですが、随行した弟子は乞食桃水の食べるものもよう食べられなかったようで、お前のようなものは境界が違うので随行は無理だと言われて帰されたようです。乞食の生活は真似るのも難しいのでしょう。

 これは、私の先生がよく話された内容で、多少逸話選とは話が異なりますが、紹介します。

 桃水和尚という人は、浄土宗の家に生まれて、子供の頃は、家の仏壇の阿弥陀仏像を持ち出してよく遊んでいたそうです。その両親がほかのものをあげるから、仏像だけは堪忍してと諭したけれども、ほかのものは何にもいらない、この仏像だけがほしいと言って聞かなかったそうです。

 そんな人ですから、禅宗の坊主だった時にも逸話は多い訳ですが、最後に寺の管長になれるところまで行った時に、何もかも捨ててしまって、乞食の仲間に入って仲間の乞食を世話しながら過ごしていたそうです。

 ある時、お坊さんが、住んでいるところがみすぼらしくあまり可哀想だと思ったから、阿弥陀仏の絵像をあげて、これを中にかけておきなさいと言ってくれたそうで、桃水はそれを返すこともせず、その画に賛を炭書きしたのが次ぎの言葉です。

 せまけれど宿を貸すぞや阿弥陀殿 後生頼むと思しめすなよ

 味わいのある歌で、その浄土真宗のお坊さんは、それを読んで平伏したということです。

 私達の心は狭いけれども、この私の心に阿弥陀仏は入って下される。しかも我々から頼む心もない。まあ、真宗のお味わいができる歌なんですね。

 そんな賛を書いたものだから、これはすごい和尚さんかもしれないということで、噂もたって、ある時、高声に念仏した僧が通った時は、

 念仏も強いてもうすはいらぬこと もし極楽を通り過ぎては

と歌ったそうです。

 これも大変味わいのある歌です。


 - 浄土真宗