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ガンダルヴァ(中有の有情)について

   


今、倶舎論を勉強していますが、倶舎論では、中有界について説明があります。

中有界は、我々が亡くなってから次ぎに生まれ変わるまでの間の生のことです。
有には、四種の有があります。本有→死有→中有→生有です。
この四有をぐるぐると巡っていると教えています。
有とは輪廻を指すことがありますが、我々の生ととらえて差し障りありません。

本有とは、我々の生きている間のことです。
死有とは、死ぬ瞬間をさしていいます。
中有とは、死んでから次ぎの生に生まれるまでの期間です。
生有とは、次の生に生まれる瞬間です。

ここでは、中有を取り上げます。中有は同じ仏教の中でも認めない学派もあります。
倶舎論の中では、だいたい7日から49日まで中有にいると言われており、空中を妨げなく行ったり、天眼などの神通力を備え、意のままにどこにでも行くことができるのと、香を食するというような話があります。ですから、仏教の行事では49日といって、その間は香を焚いて死んだ人を供養するのです。

また、誤解があるのですが、中有の衆生は死んだ時の姿をしていると追われがちですが、実は次に生まれる衆生の姿をしていると教えています。また、中有の有情と母親あるいは父親との関係は、愛憎のどちらかが起きないとガンダルヴァ(中有の有情)は入胎しないといいます。

少し抜粋してみましょう。

ナンダよ、どのように有情は母胎の中に入っていくのか。ナンダよ、この世で父母が愛欲を起こして交わり、しかも母親が健康で受胎可能であり、ガンダルヴァが近くにいるなら、母胎に入るのである。このガンダルヴァというのは、中有の有情を指す言葉である。

さらにその中有は二種となる。美しい色合なると醜い色合なるとである。そのうち、地獄の有情の中有は色が醜い。ちょうど焼けた杭のようである。傍生の中有は色が煙のようである。餓鬼の中有は、色が水のようである。欲界繋の人と天との中有は金色である。色界繋の有情の中有は白である。無色界繋の有情には中有がない。色がないからである。

ある中有は手が二本である。あるものは脚が二本である。あるものは脚が数多い。あるものは脚が一本である。当の趣に、前世の業によって生まれるであろう中有の有情も、その趣の誕生後の有情と相似したものになる。

乃至

父母が幸運であり、ガンダルヴァが不運のとき、ガンダルヴァが幸運であり、父母が不運なとき、こういう時にはまずは入胎しない。三者すべてが大きな力をもつときには入胎はある。

父母が児を儲けることができないような業を為さず、積まず、一方、ガンダルヴァもまた父母を得るべき業を為さず、積まず、ガンダルヴァに母親になるべき女、あるいは父親になるべき男への愛着あるいは憎悪という二つのうちいずれかが起きないなら、まずその間は入胎はない。

よく幽霊という話がありますが、それは餓鬼道に墜ちた人のことだという話を聞いたことがあります。

幽霊など馬鹿げた迷信だと思う人が多いと思いますが、東日本大震災で多くの人が目撃したということで、NHKも無視できなくてついに報道しました。迷信として片付けられないところがあるのですね。

ちなみに、仏教では餓鬼供養ということを教えていて、チベット仏教の法要では必ず餓鬼供養のために、食べ物を三分の一、餓鬼に与えています。


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