全用帰体 法の独立
2017/03/20
先日、ブラタモリを見ていたら、神戸港や神戸の街についていろいろと説明していました。神戸はハイカラな街と説明があり、和洋折衷の建物が沢山あると説明がありました。どうしてこんなに西洋人が多く住んでいるのかという説明の中で、結局、雑居地に西洋人が住んでいたので神戸は和洋折衷の文化が育ったのだということでした。
幕末、鎖国をといた日本は、港の近くに外国人居住地を作り、そこに外国人を住まわせましたが、神戸だけは外国人居住地の整備が間に合わず、そのため、雑居地に外国人の居住を認めたのです。それがちょうど、三宮を上がってすぐの北野というところだったようです。そのため、神戸は西洋文化が浸透したところだったのですね。
そういえば、瑞剱先生の法要で一度、神戸別院に行ったことがあるのですが、その建物や仏壇が西洋風で驚いたことがあります。築地本願寺も西洋風ではありますが、それと比べても一段と西洋風でした。その時神戸は変なところだなぁと思ったものでした。
瑞剱先生が大変西洋文化に通じ、英語も大変上手でした。また、牧師さんとの交わりがあるという環境で育ったようでした。また、瑞剱先生が行かれた病院が聖路加病院だったりと、本当にキリスト教にご縁があるなぁと思ったものでした。
その理由がこの番組を見てやっと分かったのでした。神戸で育ったので、あれほど英語に通じるようになったのだなぁと。私の育った山梨の片田舎で育ったものにはそのような環境は本当にありません。大きな違いです。
扇港に伝わる法灯
今ここに全用帰体
法の独立
この歌は上の句は私の先生が書かれて、下の句は瑞劔先生書かれたものです。このような遊びの中で法を顕わすことを昔は盛んにされていたようです。
扇港というのは、神戸港のことです。
上の句は神戸の伝わる法灯はということで、今ここにというのは法雷学派のことを言ったものです。法雷学派の要を下の句に教えておられます。つまり、念仏を全うじて信心に帰る[1]浄土宗の教えは全体帰用になるという、法の独立を教えたものです。
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脚注
↑1 | 浄土宗の教えは全体帰用になる |