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先生は真剣に聴聞されていたようです

   


瑞剱先生と先生の出会いは、先生が花屋さんをされていたころだったようです。

 その頃師事してされていた先生は、お名前は失念しましたが、歎異抄で指導して下さる先生だったそうで、その先生もよい先生であったようですが、瑞剱先生の方がもっと良かったのでしょう。

 その時の先生には悩みがありまして先生は害虫駆除についていろいろ悩まれていたようです。殺生をすることになりますので、それが苦しかったようです。そこで、先生は害虫駆除の悩みについて瑞剱先生に質問されたようです。

 先生は、害虫といいながら、虫を殺していいものではない。
「罪は十悪五逆の者も生ると信じて、少罪をも犯さじと思うべし」と法然上人もおっしゃっていますね。そういうときは「我建超世願!」とお経をあげながらするんだと教えられたようです。

 それと瑞剱先生のお話しは、他の先生と違って、機責めのような話がない点が気になったようです。
 これについては、先生は「こんなことを思っている方が間違えているんだけどな~」とお話しされました。

 私も先生の説法の時に一念について説明されないことに違和感を感じました。これは前にいた団体では、皆、一念の水際が説かれないとそれは善知識とは言えないというような考え方をしていたためです。しかし、彼等の大層自己正当化した理論であって正しいものではありません。

 水際が説かないものが善知識ではないといえば、法然上人は善知識ではなくなってしまいます。結局、一念の水際を説くことが大切なことではないのです。ここのところを腑に落ちないと瑞剱説法が分からないことになります。

 先生は、瑞剱先生の説法をとても真剣に聞いておられたようです。一周年の席でどなただったか覚えておりませんが、話をされました。


 - 浄土真宗