先生の昔話(1)
2017/04/21
どこまで合っているか分かりませんが、私がお聞きして理解しているところを書いてみます。
先生のエピソードはたくさん聞かされたのですが、順序が合っているかどうか、それがよく分かりません。また、細部は真実と異なるかもしれません。
先生は彦根の方です。瓜生津隆英和上の説法を聞かれたお婆さまのもとで、仏教に親しみながら成長されたようです。先生はご兄弟の中では次男さんですが、非常に背の高い方でした。近所の方とよく喧嘩をされたようで、それを見ていたお婆さまが、このままにしていたら将来警察にやっかいになるようなものになってしまうと心配されて、聴聞に先生もずっと連れていかれたということでした。先生はお婆さんの腰にずっと抱えられていたので、逃げられなかったと言っておられました。
このお婆さんの観化のために、小学校の頃には和讃は全部覚えていたという話でした。それ以外にも、御文章もだいたい覚えておられましたね。
また、歴史を勉強されるのがとても好きで、特に楠公さんが大好きだったようです。よく楠公さんの話をされました。また増鏡も丸暗記されていて、この話をよく話して下さいました。
戦争当時には海軍に入ったということでした。
当時、海軍というのは、ほとんど生きて帰ってこられないようなところでした。陸軍なら生き残ることもあったようです。
先生も死を覚悟して入隊したといいます。その時歎異抄を丸暗記したそうです。
また、知人が励ましというか餞別を送りに来て「お前は運の強いやつだと思っていたが、今度ばかりはダメだな」と言ったそうです。
ところが先生は、数学をよく勉強されていて三角図法などをマスターしていたために、重宝がられて海軍の教育係に抜擢されて、結局、船に乗らないで済んだようです。その友人が言っていたように本当に運が良かったわけですね。
そして海軍から戻ってきて、国鉄関係の仕事に就かれたそうです。有名なところのようですが、私個人は知らないために、名前を失念しました。
話が前後するかもしれませんが、その頃の話でしょうか、たばこの配給がされたら、それを持って闇市で売って、そのお金で仏教の古本をよく買いに行ったと言っておられました。
また、国鉄関係ですので、電車にはただで乗れますので、新潟でお米を仕入れて売ったりしたとかかなり無茶なことをされたようです。これなど、あまり自慢のできる話ではありませんが、お酒を飲むとよくこんな話もされました。
そんな事をしているときに、病気になり、広島の病院に入院されます。その病気でお前は長生きできないとまで言われたようです。それで広島でずっと療養されました。
広島は、浄土真宗が盛んなところでしたから、いろいろ観化されたことがあったようです。
ある時は、掃除をするお婆さんに「あんた何歳かね」と聞くと、その方は「阿弥陀さんとおない(同じ)年」と答えたそうです。「さすがは広島だな~」と思われたそうです。それに、ある時エビンジャコでも買おうと外に行って買おうとしたら、どこでも売っていない。それでどうしてだと聞いたら、今日は、親鸞聖人の祥月命日だからと言っていたそうです。(これはもっと後の話かもしれません)
そうこうしているうちに体調がよくなって、かえって来られたそうですが、その時、無常を痛く感じたことから、勤めをやめらて、仏教の勉強に集中されて行きます。それでお兄様の農家の手伝いをして過ごされていたそうです。
ところが、それもなかなか仏教勉強に適した環境でないことから、お兄様の家を出てしまいます。それで駅の近くに家を借りて(駅から歩いて20分ほど)、花を売る商売をしながら、仏教を勉強されたようです。先生の奥さんも花屋さんをされていましたが、これが理由のようです。
私は、先生に以前会社のことを少しだけ相談したことがありました。ところが「そうか、雇われていると大変だな~」と一言仰っただけでそれ以上は何も仰らなかったのを覚えております。
先生は、ある意味世間ごとから離れて生活されていた人なんでしょう。私もそういうことを感じたものですから、それ以降そういう私事をご相談申し上げたことがありません。