道心の中に衣食あり
2017/03/27
道心のなかに衣食(えじき)あり(最澄)
この言葉はよく先生から聞かされたお言葉です。瑞剱先生もよく仰っていたようです。
瑞剱先生は、よく学校のお友達の先生が、瑞剱先生に対して、土日アルバイトしていると揶揄していたようで、そんなことを言っている奴がおるんじゃと仰っていたそうです。世間では、瑞剱先生のような布教活動はアルバイトにしか思えないのでしょう。
前の会社の上司は、この世の中で宗教ほど儲かるものはないとか言っていた人もおりました。そんな考え方で布教をするものではありませんね。
メンタリストというTVドラマがやっていました。少し見ていたのですが、そこではサイキックを名乗って大変稼いでいたという人が実は自分は観察力が高いだけでサイキックではなかったという懺悔のような話をされる話がありますが、これなんかもよく似ています。
仏教の布教をするものは、損得勘定の中で仏教の話をするのは本当によくないことなのです。ある有名な布教師さんは、お金のことは奥さんに任せて自分は一切タッチしなかったという話しを聞いたこともありますね。
まあ、ですから、上記の話は、 逆に
衣食(えじき)のなかに道心なし
です。衣食を求めて道心を起こすということはありえないです。
以前、那先比丘経の中で、多くの人が最初こそ、目的がバラバラであって、たとえば、ひもじくて食事ほしさに出家する人もあるなど、色々だが、仏教教団に一度入れば、仏教教義を勉強して「出離」という一様の目的をもって仏教を求めることになると教えています。
私たちは仏教に第一に勉強をしていくと衣食が必ずついてくるわけです。。
そうすれば、阿弥陀様に守られて飢え死になどはしないのです。そのことをよく知って道心に燃えて求めるところが仏教者には大切ですね。