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仏駄跋陀羅と鳩摩羅什

      2017/03/20


 最近、高僧伝(岩波文庫)を読んでいます。

 浄土教に縁の深い鳩摩羅什などについて載っているので、楽しく読んでいます。下の写真は鳩摩羅什の銅像です。これを最初見た時はその賢そうな姿に感動したものでした。

 

 皆様は、今私たちが所依としている経典である「大無量寿経」が、康僧鎧が訳したものと言われていますが、これは疑わしいと言われていることをご存知でしょうか?

 「大無量寿経」を訳した時に、五存七欠と言って12訳あると言われています。
今の「大無量寿経」は康僧鎧が訳したものと言われていますが、康僧鎧の生存した時代はかなり早く、その当時だと、二十四願系の初期大無量寿経の経典が梵本として存在していただろうと想像されるのです。

 学者達の研究によると今私たちが読んでいる「大無量寿経」は、仏駄跋陀羅と法雲の共訳ではないかと言われています。仏駄跋陀羅は、華厳経を訳したことで有名な人ですね。

 私は以前、五存である大無量寿経の違いなどを調査したことがありますが、初期の訳である二十四願系の平等覚経と大阿弥陀経、それと四十八願系の大無量寿経と無量寿如来会、それと大きく系統が違う無量寿荘厳経があります。

 現在の大無量寿経は、平等覚経からの転写部分が含まれるなど、オリジナルな訳経としては違和感を感じるところがございます。もしかしたら、後世に流布本の中でそのような操作がされた可能性もあると思います。そのために訳経者名も異なるというようなことが起きたのかもしれません。
もし、仏駄跋陀羅と法雲の共訳そのものだとすれば、平等覚経を参考にし、梵本にかけてしまったところを補った可能性がありますが(五悪段など)、果たしてそんなことを訳経者がするだろうかという疑問があるわけです。これは根拠のある話ではなく、素朴な疑問です。どうしてこれが転写だと言えるのかというと、平等覚経は、十方衆生のことを「諸天・人民・蠕動之類」のような表現を取っています。これは、平等覚経の本願文で書いてあるのではよくわかるわけです。これはこの経の特徴です。大無量寿経になるとこれが、十方衆生と訳されています。ところが、この挿入された五悪段などの挿入されたところは、「諸天・人民・蠕動之類」という言葉がそのまま出てくるのです。もし翻訳だったら、十方衆生と言葉が変えられているでしょうから、違和感のあるところです。

 仏駄跋陀羅と鳩摩羅什はちょうど同じ頃の三蔵法師です。
高僧伝を読むと鳩摩羅什は先に小乗仏教を勉強していたが、後に大乗仏教に転向したことが分かります。また、あまり大乗仏教についてはよい先生について勉強したようではなく、独学に近い状態だったように思われます。

 逆に仏駄跋陀羅は、よい先生のもと修行をしており、既に不還果を得ていたのではと言われています。大乗仏教の理解も相当なものだったようです。

 ある時、仏駄跋陀羅が鳩摩羅什と対談して「君の理解は私を超えることがないように思うが、どうして、そんなに有名なのか」と皮肉を言っています。

 また、この当時は、中国仏教の父と言われる釈道安、浄土真宗にとてもご縁のある僧肇や、廬山の釈慧遠、また、闡提成仏を説いた道生などがおり、これらの生涯についてまとまって読むことができるのは大変楽しいです。また格義仏教と言われる初期仏教の形態なども出てきており、大変勉強になりますね。

 とりとめのない話になりましたが、こういう高僧伝を読むことは仏教を立体的に理解できてとても良いと思いますね。

 ちなみに、仏駄跋陀羅のブッダは覚で、バドラは賢の意味になり、中国語で覚賢といいます。
玄奘三蔵の師匠は、シーラバドラといいますが、中国語で、戒賢といいますね。シーラは戒のことで、バドラは賢のことになるわけです。


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