現代仏教の問題点
2017/03/03
『中外日報』2009年10月22日掲載に寄稿された「吉村均」氏の説明はとても分かり易いので、ここに全文を引いておきます。
「輪廻は迷信であって仏教本来の考えではない」、「大乗仏教は後代になって作られたもので釈尊の教えとは異なる」。こういった考えは、今日の日本で広く受け入れられている。しかしこれは明治になってからの近代仏教学の説で、伝統的な考えとは異なる。近代仏教学の形成に大きな役割を果たした倫理学者・思想史 研究者の和辻哲郎(1889~1960) は『原始仏教の実践哲学』で、仏教の輪廻説と無我説について、輪廻するのであれば輪廻する主体である我を認める必要があり、無我の考えとは矛盾する。伝統 的理解ではそれを同じ釈尊の教えとしているために説明に無理が生じたとして、輪廻の考えを仏教から排除し、輪廻の苦の中に生まれるプロセスとして理解されていた十二支縁起を、論理的な相関相依関係として解釈している。
岩波書店から刊行された第三次和辻哲郎全集では、単行本未収録論文や講義ノート、講演資料の類が大幅に収録され、和辻がそのような解釈に至った過程を知る ことができるようになった。講義ノートからは、和辻が近世の排仏論(地獄や輪廻の考え、須弥山中心の世界観は迷信であり、膨大な大蔵経の大半は後代の産物 で釈尊の直説ではない、等)の主張をすべて受け入れ、それらを除いた上で「仏教哲学」を確立すべきことを考えていたことがわかる(全集別巻2)。和辻はそれを「教会よりの解放」(全集19巻)と呼び、西洋でキリスト教の伝統の中から近代哲学が生まれたことに重ね合わせている。その研究は西洋的な文献学の手法に基づくもので、おそらくはヘーゲル『哲学史』の影響下に、仏教の様々な教えを思想史的展開として説明づけている。
これは伝統的な仏教理解とは大きく異なる。伝統的には釈尊は特定の主張を持たず、その教えは相手に合わせた対機説法とされ、矛盾する教えの存在は、説かれ た相手の能力の違いによるものとして説明されてきた。そのような、中国日本やチベットの伝統は、インドのナーガールジュナ(龍樹)の仏教理解に由来する。 近代的解釈では、ナーガールジュナの『中論』は空の思想を説いたものと考えられているが、南インドの王に仏教の実践を説いた『宝行王正論』『勧誡王頌』 や、部派の仏教理解を批判した『六十頌如理論』等を見ると、ナーガールジュナが経典に録された釈尊の言葉をどのように理解し位置づけたかがわかる。釈尊 は、まず輪廻の考えに基づく施・戒・生天の教えを説き、それが理解できた者には輪廻からの解脱を勧め、最後に四諦八正道を説いたとされている(次第説 法)。ナーガールジュナはそれを踏まえ、苦諦と集諦の瞑想としての十二支縁起の順観と、滅諦と道諦の瞑想としての十二支縁起の逆観によって得られた、無も 成り立たず有も成り立たないことを理解した境地こそが、釈尊自身の境地で、阿含経典では断片的に説かれるのみのその境地を主題的に展開した教えが、当時も 仏説と認めるかどうかが議論になっていた大乗経典だと位置づけたのである。
近代的仏教理解で輪廻が釈尊の考えではないことを示す根拠としてよく挙げられる、死後の生などについて尋ねられて答えなかったという十四無記も、ナーガー ルジュナはブッダガヤでの成道時の沈黙と結びつけ、有でもなく無でもないという境地は普通の人には理解しがたいため、説かなかったのだと説明づけている (『宝行王正論』)。
このような理解は、近代的な知性からは無理なこじつけに見えるのかもしれないが、仏教の教えの特徴(法印)とされる「一切皆苦」ひとつをとってみても、私 たちの日常意識とは一致しない。苦しいこともあれば楽しいこともあるというのが、私たちの普通の感覚である。それは感覚が捉えた対象をリアルに感じて、嫌 な対象を除き、欲しい対象を得たい、そうすれば苦しみをなくし幸せを得ることができると間違って思い込んでいるためで、そういう者には殺人や盗みなどのよくない手段で得られるのは苦しみでしかないことを説く。仮に一時的な楽が得られてもそれが持続せず苦に変わることが理解できる者には、そのような行為の連 鎖から抜け出すことを勧める。さらにそれらの苦の根本原因である対象の実体視をなくすために、外を捉える感覚の働きを一時的に停止させた上で(止)、熟睡 にたとえられるその状態ですらも働いている実体視という根源的な無知を晴らす(観)というのが、他の宗教にはない仏教独特の実践なのである。
近年、欧米では仏教への関心が高まっている。それは仏教が単に救いを祈るのではなく、心を変えることによって実際に苦しみを減らすことのできる方法を持つからで、関心が集まっているのがチベット仏教や禅やテーラワーダの念処であるのは、そのためである。チベット仏教のダライ・ラマ法王は日本人に対し、「日本には仏教の伝統があり、『中論』などもすでに訳されているのだから、それを学ぶのがよい。ただ、その意味についてはチベットのラマが手助けできることもあるだろう」とアドバイスしている。チベットの僧院教育は倶舎・唯識・中観・論理学(因明)等を学ぶ もので、中国軍の進出によって高僧の多くチベットから亡命した後、同じ仏教国ということで、何人かの学徳を備えた僧が日本の仏教系大学や研究機関に派遣された。しかし文献学が主流の近代仏教学において彼らが求められたのは、チベット語経典の整理係やそれを読むためのチベット語教師としての役割で、仏教を伝えることでも日本人の弟子を育てることでもなかったと聞く。
和辻哲郎は『正法眼蔵』を論じた論文「沙門道元」で、入門して実践するという伝統的な形態を否定し、読むことで道元の思想を理解できるとして、「それに よって道元は、一宗の道元ではなくして人類の道元になる。宗祖道元ではなくして我々の道元になる」と宣言した。しかしこの「教会よりの解放」の試みが、仏 教の知の異質な知への読み換えであり、苦しみからの解放の道を見失わせるものだったことを忘れてはならない。
仏教の核心が日常感覚に反し、極めて理解しにくいものだからこそ、すでに理解を得ている師の指導を受け、修行によって感覚の捉え方を変え、理解を得てさら に次の世代に伝えるという形式を、仏教は必要としている。その継承が失われた時代を古人は「末法の世」と呼んだ。現代社会で寺院や僧侶が果たすべき役割について様々な議論があるが、近代的仏教理解で何が見失われたのか、問い直すべき時期が来ているのではないだろうか。