虚無主義(ニヒリズム)は邪見につながる
2017/02/20
チベット仏教では、菩薩は空について人に教える場合に、ニヒリズムに陥らないように注意しなければならないと言われています。
特に帰謬論証派の説明では「Aがない」と否定して行きますので、聞く方は誤ってそのAの実物が存在しないと理解しがちです。ですが、この否定の意味は、存在の否定ではなく、存在感の否定なのです。つまり、我々がそのものがあると実体視している心、これを「諦執」といいますが、その実体視こそが、迷いのもとであるであるので、これを否定しているのです。
空とは無自性のことで、自性が無いということです。自性とは、つまり、そのものがそこに自然に存在するという思いですし、実体性のことです。それが無いというのが、空なのです。
それを誤って、実物が存在しないと理解してしまう考え方をしますと、虚無主義に陥ってしまいます。このような考え方に陥ると、結果である成功や失敗もない、悪いことをした報いも無いというような因果の道理も否定しかねないところがあります。これは邪見ともいい、このような考えの末には「地獄」が待っています。
ですから、仏教を説く(空を説く)者は、聞く側が誤って、このような間違えた理解をしないように、空の対象をよく説明する必要があります。
今の日本の仏教界が死後を認めないのは、因果の道理を否定する故に、この虚無主義の誤りのように邪見に落ちる可能性があり、危ない思想だと言わねばなりません。