松原知恩さん(2)
2017/03/05
松原知恩さんの話では、こんな話があります。
松原さんは最後は列車に足を引かれて亡くなられたと聞いています。
「えらい催促を受けました。これも自分の悪い業の報いです。」と言っておられたそうです。
当時は、紡績が盛んでしたから、多くの若い女性が出稼ぎに来ておりました。その労働環境は決して恵まれたものではなく、今でいえば、安い労働運賃で、不当に搾取されているような大変悪い環境でした。
松原さんは、そういう人たちに説法をされたようです。たぶん、その会社の工場長などに頼まれて本当に善意で行ったのでしょう。そこで行った説法の内容は、因果の道理の説法だったと言われています。
因果の道理の説法というのは、今の業報は自分の業の種まきの結果であるということを懇々と説明する内容ですので、このような極悪の環境を擁護するような内容になってしまうわけです。また、説法力のある方の話の場合の効果は絶大だったと想像されて、何度もそのような説法を依頼され、繰り返し説法をされたようです。さすがに最後には松原さんも気づかれたでしょうが、まあ、いいように利用されてしまったわけです。
松原さんは死なれるときに、そういう自分で行ってきたことを懺悔されて亡くなったようですね~。
自分は大層不浄説法をしてきたので、こういう業果もやむを得ないと言われたようです。
今日、因果の道理の説法は上記のような問題と関連して自粛気味です。社会の間違えた仕組み、差別を擁護するために因果の道理が説明されてはならないという反省のもとなのかもしれません。
また、仏教は権力者に利用されがちだということも理解しておく必要があると思います。
私の先生は業の問題は「他人の業果が、その人の善悪の行為の結果だ」を決めつけるために因果の道理が説かれているのではなく、本当に自身で反省するためのものだと教えられたこともありますし、こっそり説明する内容だというように話されたこともあります。
因果の道理は甚隠顕分と言われて、仏様しか明瞭にわからないものです。その点を理解して法を説く場合は注意が必要なものであると理解すべきだと思います。