『大乗起信論』はどこから来たのか
2017/02/28
『大乗起信論』は変わった御聖教です。これは真諦三蔵が訳出したものが有名であり、もう一つの訳出があることから、梵本の存在が考えられますが、インドの成立を疑われています。
それにしても、不思議な御聖教です。大乗を衆生心と説明したり、その思想は不思議なところが多いのですが、ここでは、次ぎの点を取り上げます。
それは、真妄の二面から我々の心を説明しているところであり、真識としては如来蔵、妄識としては阿梨耶識だとして説明をしているところです。
このような説明は、他には見られないものです。阿頼耶識や如来蔵は別に出て来ますが、あまり一緒に説明されておりません。
ただ、これは、チベット語の『宝性論』を勉強していた時に気づいたことがあるので、書いておきたいです。阿頼耶識の根拠と如来蔵の根拠は実は同じなのです。これは、『宝性論』の勉強の時に、チベットの先生から教えてもらいました。
阿頼耶識の根拠は『摂大乗論』の中に次のように出てまいります。
無始時来の界は 一切法等の依なり
此れに由り諸趣有り、及び涅槃を証得す。
『摂大乗論』
一方、如来蔵の根拠は、『宝性論』の中で次のように出てまいります。
無始世来の性は、諸法の依止と作る。
性に依りて諸道有り。及び涅槃の果を証す。
『宝性論』
これらは訳こそ違え、どちらも同じ根拠です。つまりチベット語では、全く同じ文な訳です。摂大乗論では、これが阿頼耶識の根拠であり、宝性論では、これが如来蔵の根拠になっている訳です。
大乗起信論は、唯識と如来蔵思想をミックスした教えと言うべきもので、この二つの論書(摂大乗論と宝性論)もしくは、思想の整理の中で、大乗起信論のような教義が出来てきたのだと推察が出来ます。そういう意味では、真諦三蔵は、このような自分でまとめた説明を他の論書の中にも挿入していたりしますので、そういう類のものの可能性はあると考えさせられますね。