仏教入門 – お釈迦さまがお生まれになったインド
お釈迦さまはだいたい今から2600年ほど前にインドに(インドとネパールの国境付近)生まれられましたが、仏教伝導の舞台になったのはもっと南のインドです。この頃のインドの文化を少し見てみましょう。
ガンジス川の肥沃な土地で、その周りに文明が開けた
ガンジス川は聖なる川で今でも多くの人が沐浴をします。
お釈迦さま時代、ガンジス川流域は大変肥沃な地域であり、作物が多く収穫できたため、そこを中心に文明が発展していました。
それまでは、インダス川流域にインダス文明が栄えていましたが、BC1300年までにインダス川あたりからの移植民者がガンジス川の流域に住みつきました。この移植民者にインド・アーリア人がいます。
彼らは先住民族のドラビタ人を制服して奴隷としてしまいます。インド・アーリア人が白い肌をしていたのに対し、ドラビタ人は黒い肌をしていたと言われます。
この後、バラモン教によるカースト制度ができあがります。
バラモン教が皆を支配していました
バラモンの聖職者が一番偉く、次が王族などの支配階級(クシャトリア)、次に商人階級(ベイシャ)、そして奴隷(シュードラ)です。
このカースト制度(既に廃止されているが)が今のインドに貧困層を生み出している原因にもなっています。なぜなら、貧困層は十分な教育を受けられないので、そこから脱却できないのです。
さて、ガンジス川流域は肥沃なところであったため、出家者が集まるようになります。インドの肥沃な土地は、出家者を楽に養うことが出来たからです。インドは高温であったため、食べ物が日持ちしません。作った食事は食べない場合は捨てるしかなかったのです。そのため、捨てる代わりに出家者に喜捨することが嫌ではなかったのです。
そういう事情もあり、この頃、多くの出家者が出ています。ちなみに、バラモンが出家して修行するのをバラモンといい、バラモン以外の階級の人が出家するのをシャモンといいました。
ウパニシャッド哲学
バラモン教では、神聖なヴェーダ経典を信奉します。三ヴェーダとも四ヴェーダともいいます。そこにはウパニシャッド哲学が詩の形で表されています。
ウパニシャッド哲学では、因果業報説を説き、我々は業報に支配されている間は、輪廻転生が続き、真の幸福を得たい場合は、輪廻の流れを断ち、束縛を脱した境地に達しなければなりません。そのためには、梵我一如といって、我々の自我であるアートマン(我)が宇宙の本体のブラフマン(梵)と一体になることをいいますが、その境地こそ、解脱の境地であると教えて、苦行や禅定の方法を教えていました。
バラモン教に囚われない独自思想での修行者が現れました
バラモンは、この教義にしたがって出家しましたが、シャモンはバラモン教に囚われず自分の信奉する教えを奉じました。そういう中にお釈迦さまもいらっしゃったのです。