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チベット仏教に足りないところ

      2017/02/17


チベット仏教は、出離・菩提心・智慧と教えており、その教えは、仏教古来の教えで相伝を本にしています。

学べきところが非常に多いのですが、彼等が教えれる顕教では、私が学んだ限りでは、浄縁起が教えられていません。この点が全幅出来ない欠点と言えるかもしれません。

また、浄土教は中国には伝わりましたが、チベットには伝わっていません。これはチベットに伝わった時期が仏教の後期であり、その時代は密教が主流であったためと思われます。

また、称名念仏を別時意趣の意味で理解されます。ゲルグ派が信奉する帰謬論証派は龍樹菩薩系の仏教なので、浄土教に親しいはずなのですが、一方で論理学を唯識派である無著菩薩系統の教えに頼っているため、攝大乗論などの無著の論書を大切にしています。そのため、このような解釈がなされているのです。この点、浄土教と相性が悪いと言えます。

但し、彼等の密教で教える生起次第と究竟次第は、まるで浄土真宗の教義のようです。密教と浄土教は似ているという話しを私は自分の先生から聞いておりましたが、それはこの二つの概要を聞くことで納得できました。

入我我入、生起次第 → 彼此三業不相捨離
究竟次第 → 死んでこい

浄縁起を説かないという点はチベット仏教ではあまり華厳経が研究されていない点に原因があるかもしれません。

私が聞いたチベットの先生の話しでは、重々無尽の縁起を、我々の妄念として説明をしていました。これで分かるのは、チベット仏教の顕教では、浄縁起が説かれていないということです。

よって、チベット仏教の顕教は究竟的な教えではないと言わざるを得ません。


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