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10年1日のごとく求めなさい

      2017/02/17


私は先生から、「10年1日のごとく」ということを聞かされました。それはある信者さんへの褒め言葉でした。「あの方は10年1日のごとくに法を求めている。そういうことで信頼も得られる。」というものでした。

仏教は長い年月の修練の中で成就するものであることは、大乗仏教が三大阿僧祇劫を経て仏になると教えているところを考えても分かります。

少しやってすぐに放り投げてしまうような勉強方法では、仏教のことは成就できませんね。

今は末法の時代です。お釈迦様の勧化力は時間と共に減退してきました。これはやむを得ないことだと思います。しかし、禅宗では、お釈迦様が亡くなられてから、2600年も経ちますが、天上界では、100年が1日だから、26日で1ヶ月も経っていないといって頑張ります。まあ、そういう精神は浄土真宗を求める場合でも必要でしょう。

先生は「生死出離の一大事に驚いてだいたい二十年まじめに求めて初めて生死の解決が出来るのが相場だ。二十年なら、早い方だ。一生かかってやっという人も大勢いる。」と仰ったことがあります。

法の水
巌の下に流るなり
堀り堀りてくめ、深く不断に
(瑞劔先生)

ここまでの説明は「不断」にというテーマでしたが、次ぎに「深く」というテーマも説明しておきます。

私の先生は、一つのことを錐で穴を開ける時のように勉強しなさいと言われたことがありました。それから、一つのことを勉強するのにも、一応の納得で理解したとせず、本当に納得するまで勉強するようにしています。

我々は率爾に(うっかり)理解して早合点して誤解するケースが多々あります。
それが仏教の事だと大変で生死解脱の問題にまでつながっていくのです。

また、そのような初歩の問題だけでなく、仏教はとても深い教えなので、一通りの理解で満足せずに自分で疑問を出して勉強して行くのが良いのです。そのようにして、得られた答えは、自分を確信レベルまで高めてくれます。

それと自分の考えを一度壊すくらいの気持ちで勉強しないといけません。最初勉強したことに拘泥していると更なる高みには到達できないのです。勉強した苦労も忘れて一から勉強し直す気力、仏教においてはこれがとても大切ですね。


 - 浄土真宗