親鸞聖人のご結婚
2017/02/28
これは私のお味わいです。歴史的なところは事実が分からないところがあるので断定できるところではありませんが、私はこのように味わわせていただいているという話しです。
親鸞聖人はどういう理由でご結婚されたのでしょうか。「仏教の真意を表すために公然と結婚なされた」という理由が説明されることがありますが、あまりに美化された説明のように思えます。
親鸞聖人は仏教で一生をすごそうと決意された方ですので、戒律を守る気持ちが強かったのではないかと思います。実際、師匠の法然上人は、一生を清僧として過ごされて訳ですし、お友達である同朋の法然上人のお弟子の方にも大勢そういう僧侶の方がいらしたのですから、そのような現代的な決断をされるとは少々思えません。
そのようなことから、法然上人のご紹介で結婚された可能性の方が高いと思います。法然上人は、世の時勢を理解されていて、親鸞聖人にその後ろ盾になってくれるような方を紹介した可能性があると思います。
恵信尼様が九条兼実公のお子様だったかという話は伝説の域で分かりませんが、あの当時流罪者の妻ということは九条兼実公にも影響があったでしょうから、九条兼実公の間柄などが分からなくなるように名前を変えて越後に下った可能性があると思います。
実際、今の研究によりますと配流の身となった親鸞聖人は奥様とご一緒に流罪の処刑地までいったようです。京都で結婚されて、ご長男は京都で既に生まれていたわけです。
親鸞聖人は結婚されるとその報告に法然上人に奥様を連れてご挨拶にいかれたようです。その時、法然上人は「善信坊はよき坊守をもたれた」と言われて大変喜ばれたそうです。この「坊守」という言葉が残っており、お寺さんの奥さんを坊守さんというのは、この法然上人のお言葉からだということです。この話しも、法然上人が親鸞聖人の守役として結婚を進められた根拠になるのではと思ったりします。
そのようなことを総合して考えますと、
親鸞聖人の命を救ったのは、やはり九条兼実公のお計らいということでしょうし、ご結婚は身を守る手立てになることがあると思います。
仏教を信じる旦那様に嫁いだ女性の方は、よく旦那様を守り、長寿たらしめるのが役割なのかもしれません。