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阿弥陀さまを仰ぐ、仰信する大切さを教えてくださいました

   


先生はインドの釈尊の古跡を巡られるのが大変お好きでした。そのため何度かインドに行かれました。

 そういうときは、だいたいあるお寺さんが幹事になって、ご縁のある方を募る形で実施されました。
そのため、法雷に縁のある人が多かった訳ですが、その中に他の団体に縁のあった人が一人入っていたそうです。それでその方は、インドのバスの中で、ずっと法雷に縁のある人の安心の間違いを指摘していたそうです。そんなの本当の信心じゃないと言って、となりの人をずっと攻撃されていたようです。

 多分、たぶん、幹部か説教師などをされていた人ではないでしょうか。それで、指摘された方は応対に疲れてしまって、先生に「先生お願いします。かなわんわ~」と助けを求めたようですが、先生は「たまには、そういうこともいいじゃないか、とことんやってもらいなさい。」と取り合わなかったようです。

 また、先生はそういう方の最後も話しをされました。
先生のところには、昔の団体の布教師をされていた人がよく訪ねていかれたようでして、おかしな言動もされたようです。ただ、先生の話は気に入って続けて聞いておられた人もいらっしゃったようです。

 ところが、前いた所の習性が抜けきらず、他人の安心を批判ばかりしていたようです。

それで、最後は、病院の鉄のベッドがひね曲がるほど苦しんで亡くなられたということでした。可哀そうですね。前いたところでは、人は後生に無間地獄に堕ちると教えられていましたから、大変な恐怖だったのかもしれません。結局、他人の事ばかりで、阿弥陀さまに目がつかなかったのでしょう。

 私たちは、こういうところを反省して阿弥陀さまを仰いで阿弥陀さまに目を向けないといけないと思います。

 前いたところで、他人に法を伝えるのも他人の安心を批判するのも親切なことなんだ、と教えておりましたが、いくつか理屈が間違っています。私たちはそんな殊勝な人間ではないという点ですね。他人を見下すしか能がないのです。だから、そんなことばかりやっていると、驕慢ばかりが募ってしまってよいことはないのです。そういうことを知らないといけないですね。

 先生はおっしゃいました。「阿弥陀さまを仰ぎ見る、そこに目をやって何度も立ち戻らせて頂く、それが大切だ。そうやっているところに、阿弥陀仏のお慈悲を徹底する」と。


 - 浄土真宗