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学仏大悲心

      2017/02/28


 浄土真宗といいますか、仏教で一番大切な言葉を上げろと言われたら、「学仏大悲心」をなると思います。

 私達は、何を学ぶのか、それは阿弥陀仏のお慈悲を学ぶ訳です。そしてお慈悲が心から分かったところが、信心ということになる訳です。ところが、阿弥陀仏は仏であって、私のような凡夫ではありません。阿弥陀仏の慈悲は、無縁の慈悲と言われます。この無縁の慈悲とはどういうものか。これを理解せねばなりません。

 私は般若の勉強をかなりしましたが、これは、無縁という所を理解するためでした。仏様は、般若の智慧に裏付けられた慈悲を持っている訳です。よって、般若とは何かということを理解しないと慈悲も分からなくなってくる訳です。

 これを間違えて理解すると、度我救我の信仰[1]浄土真宗の信仰は仰信といい、度我救我の信仰、キリスト教などの信仰と異なります。になりかねず、まず仏とは、慈悲とはという順に理解して行く必要があります。

大蕪、鼠に囓られ声立てず

 

 これは瑞劔先生が、私の先生に与えられた歌で、蕪を鼠が囓っている絵に讃を付けられたものです。これが阿弥陀さんだぞと教えられました。

 阿弥陀様は、好きとか嫌いとか意識せずに、無意志の意志で、無努力の中で、私達を救って下さるのです。また、頭を叩きに来たような人も救ってしまうような力があるんですね。

 実際、親鸞聖人は殺そうとして尋ねて来た弁円を救った話しは有名です。お釈迦様も自分を殺しに来られたアングリマーラを救っておられます。そういう救いが努力せずに自然に力が出て来る訳です。

 そういう力、功徳力のある仏様であるということを私達は知っておく必要があります。


脚注

1 浄土真宗の信仰は仰信といい、度我救我の信仰、キリスト教などの信仰と異なります。

 - 浄土真宗