安心決定鈔が西山派か本願寺系統かの互いの根拠
2017/03/27
まずお互いの議論を書いてみます。
・覚如上人説とするものは次の証拠を出します。
反古裏書に出雲路の乗専、覚如上人に随い奉り、絵像の本尊、報恩講式、口伝鈔、改邪鈔、安心決定鈔等の聖教をのぞみ申され等と記述があるもの。これ一つを証拠としています。
・逆に西山派の書籍だとするものは上記については次のように反論します。
慕帰絵詞、敬重絵詞の中に此の書を載っていないと。
このあたりは根拠としてはどちらも脆弱ですね。
また、覚如上人説の場合は、蓮如上人がこの聖教をとても大事に扱われたというところを根拠にしていますが、これを根拠といえるかは疑問を感じます。
吉谷覚寿さんは、根拠が脆弱なところは理解していて、四義十証をあげて内容で証明しています。
あとは「金を掘り出すようなる聖教なり」とあるのですが、この解釈を高倉学寮派(吉谷覚寿さんなど)側は、玉石混合したお聖教で、だから、全面を取ることはできない、部分部分が金の値であると理解しますが、本願寺派(是山慧学さんなど)は、全文を金と解釈するようですね。
結局のところ、問題は、この聖教を大切な聖教と理解するかどうかでしょうか。
高倉学寮派は、部分的に金という解釈から大切な聖教という解釈がなされなくなっているようです。
これを読んでいて法雷にであった頃、法体円成の説明が巧みだったため、痛く感激したのを思い出しました。
私が法雷にちょこちょこ参詣するようになって、先生が「君はどの辺が好きで来ているのか」というような聞いてこられましたが、その時「法雷のご説法は、まるで安心決定鈔のようで、法の徳がよく出ていて感動しています。」というように答えましたところ、先生はたいそう笑って頷かれながら「それを法体円成というんだ」と教えて下さいました。
蓮如上人は、安心決定鈔に著された法体円成の様を喜ばれていたのかもしれません。