三法と四法
2017/02/28
三法の説明が今の西本願寺では、行中摂信の立場で説明しています。
「仏力を談ず」の中では上記の説明に次ぎのような説明を加えていますね。
これを外と内という形で、外には、通仏教と同様に教行証としたけど、内では、信を別開して教えられたというように説明しています。
まあ、学ぶところもあった訳ですが、やはり違和感はありますね。
例えば、浄土真実教行証文類とある、この教行証とは何かという話しですね。
法雷では、これを法体成就門として説明しています。つまり、浄土真実の教行証は、阿弥陀仏のお手元で整えられているということです。
真宗の教行証を敬信して、特に如来の恩徳の深きことを知んぬ
『教行信証総序』にある言葉ですが、これを行中摂信ではこの説明できないだろうと思います。仏力を談ずでは、この敬信は信心のことではないと言っていますね。
四法を法雷では、機受趣入門として説明しています。これは我々に阿弥陀仏の名号が届く手立てを教えられています。
存覚上人は、
「教行証」とは、所謂、次の如く、所依・所修・所証の法なり。
と六要抄の中で説明しています。これは、よく法体成就門を表していると思います。