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金正恩の政策は国民にとってかなり良いようで、これなら彼の評価をもっと上げていいはず

   


 皆、金正恩のことはあまり評価していないかもしれませんが、実は、北朝鮮の内情はかなり違うようです。
というのは、金正恩政権になって、北朝鮮はかなり生活苦がなくなったようなのです。

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 最近伝聞するのは、幹部の粛正の話でその場合は銃殺刑になりますので、まるで恐怖政治だと怖い思いしかなかったのですが、今回の話は金正恩の別の一面を見せてくれています。

路上生活者が減っている

 北朝鮮では、両親がいない10代前後の路上生活者を「コッチェビ」と呼びます。
コッチェビという言葉が出始めたのは、1980年代だと思われます。コッチョビが多く出始めたのは、1980年代半ばの食糧難が広がったのがきっかけでした。彼らは群れをなして街を徘徊しました。彼らの生活の場はヤミ市のチャンマダンです。

 ヤミ市(チャンマダン)は、経済難が広がるにつれて、北朝鮮全域に広がり、今では北朝鮮の流通としてはかかせないものになりました。
今や400カ所の大規模なヤミ市が運営されています。1990年代にいたコッチョビは今や30~40代の男になっています。ヤミ市で彼らはさまざまな仕事をしています。

 一方で、その路上生活者「コッチョビ」の数はヤミ市「チャンマダン」の広がりと反比例するかのように減少してきました。コッチェビの数がはっきりと減った理由は食料事情と関係しています。

 北朝鮮の食料問題は、金正日政権の時代がピークでした。

金正日の失政

  • 金正日は、社会主義は完成段階に入ったと宣言し、協同農業の国営農場化を推進しました。
  • それまでの北朝鮮の農民は、協同農場において協同的所有を維持してきた。協同的所有だからこそ、生産された分から分配を受け、ひと月ごとに受け取る生活費というものは存在しませんでした。
  • ところが、金正日は、協同農場員にも安定的な生活費を支給する代わり、すべての生産物は国家から受け取る方式を取り始めた。協同農場員は工業従事者のように生活費を毎月受け取る農業勤労者となったわけです。
  • 最初こそ良かったが、だんだん仕事をしなくても月給を受け取ることが出きることが徐々にわかり、となると、農場には出ず住居近くの畑ばかりを耕すようになりました。こうして生産性が落ち始めました。
  • 金正日は、生産性落下に歯止めをかけることができなかった。
    その当時金正日が行った政策は次の三つです。
    1:農地整備、金正日が死亡する直前までには、約120万ヘクタールの農地を確保したといいます。
    2:水路・道路整備、農地に水を供給するための水路を整備し、各地域を連結する道路網を拡充する事業だった。特に西側の耕作地帯と東側の山岳地帯を連結するため、平壌から元山を経て咸興までをつなぐ、高速道路を整備。
    3:肥料生産の正常化、興南窒素肥料工場などの生産を正常化させようとしたが、金正日が死亡するまでに成果を出すことはできませんでした。
  • 結局、金正日は食料難を克服できず、自然災害が3年も続いたことも食料難を広げて、北朝鮮の食糧難はついに飢餓レベルとなって、飢餓が解決できなかったことを理由に、徐寛熙(ソ・グアンヒ)農業担当党書記は公開処刑されるにいたりました。
  • 1998年金大中政権が、太陽政策(Sunshine Policy)を打ち出し、肥料や食料支援が始まり、日本、アメリカからも食料支援するまでになりました。
    この当時の支援量は200万トン、その時の北朝鮮の生産量が200万トンで、ギリギリ生活が出来るレベルでした。

 日本でもそうでしたが、配給制の食料が減るとヤミ市が盛んになり、そちらでの取引で生計を立てるようになっていきます。
この当時のヤミ市は広がって配給制から市場取引へと転換していたったのです。不安定な供給もだんだん安定的な供給にされはじめました。
卸商は北朝鮮の米供給に担うようになり、北朝鮮は違法と分かりながらも、取り締まりが出来なくなっていきました。彼らは、協同農業と先物取引を行う一方、不足分を中国から取り寄せるなどしていました。(このあたり中国との密な関係が理解できます)

金正恩の政策

 2012年に金正恩になってから、市場が変わり始めました。彼は政権を担ってから最初の演説で、一般住人に向けて「二度と住民がやせ細らないようにする!」と宣言しました。彼が行った政策で、今はの生産量は700万トンほどです。まだまだ生産量は増えるようです。
彼の行った施策は次の通りです。

  • 軍部隊に割り当てられた農地を増やし、住民を当てにするなと厳命しました。軍部隊には約20万ヘクタールの農地を割り当て、軍が農業を行って自身の食料供給の問題を解決させた。これによって軍部から強制的に持ち出されることがなくなった。
  • 協同農場の生産性向上の手段として、月給制を廃止、生産物の7割を取り置くことにしました。また農地を固定化し(それまでは、公平性のために農地をローテーションさせていた)、1ヘクタールを1世帯に分け与えた。
  • 土地と農具や種を貸し与える代価として、生産物の3割を徴収する制度とした。土地によって生産性が異なるため、3割というのは調整された。
    これらの制度によって、生産性が向上してもはや「トウモロコシごはんを食べる人はいなくなった」
    肥料生産も一部で正常化され、石炭化学工業で出てくる化学肥料の生産が一部で正常化し、外部から調達する肥料の量も減ってきています

この政策を見ると金正恩の政策は大変国民に歓迎されているわけです。

 これを読んで金正恩を評価しなおす必要があるかもしれないと思うようになりました。そういえば、北朝鮮では軍人が農業をしている写真が多くあって、軍人が農業をしなければならないほどの飢餓状態なのかと思っていましたが、それは今や偏見のようですね。

オリジナルソースは東洋経済です。

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