倶舎論の大悲の説明
2017/03/27
先日、倶舎論の大悲の説明を読みました。その内容は、まるで大乗仏教の教えのようでした。
明らかに阿羅漢と仏とは違う立場をとっています。こういうところから思うに、大乗非仏説などはバカげた内容だなと思いました。
大悲は世俗慧である。何故ならば、「世間において、昼夜六つの時に、”誰が繁栄して、誰が落ちぶれるか”、”誰が熟していないものを熟させようとしているか、誰が熟していないものを熟させたのか”を智の武器によって見抜こう」とお考えになるからである。
「何故大悲というのか」というなら、答えよう。そのように言われる。何故ならば、三無数劫に大いなる福徳の資糧と大いなる智慧の資糧とを成就し、衆生を三苦性から離れさせようという行相を持ち、対象領域としては、三界の衆生を所縁として、一切衆生を行苦性から離れさせるようにと平等にお考えになられるからであり、智慧を自性としているので、上上(最上)であるからである。
そうであるならば、「大悲と慈悲には、どんな違いがあるか」というならば、答えよう、違いには八種がある。何故ならば、
1、慈悲とは瞋恚のないことであり、大悲は愚痴がないことである。
2、所縁の違いでは、慈悲は欲界の衆生を所縁とし、大悲は三界の衆生を所縁とする。
3、行相の違いでは、慈悲は苦苦性から離れさせようという行相を持ち、大悲は、三苦性から離れさせようと思う行相を持つ。
4、所依の違いでは、慈悲は四静慮を、拠り所とし、大悲は、第四静慮を拠り所とする。
5、心相続の違いでは、慈悲は、声聞・独覚の心相続にもあるが、大悲は、仏陀の心相続しかない。
6、得の違いでは、慈悲は欲界から離欲したことによって得られる。大悲は、有頂から、離欲したことによって得なければならない。
7、慈悲と大悲は実際に救済するか否か。
8、慈悲は偏りをもって働き、大悲は一様に働くという違いがあるからである。(倶舎論、智品)
これを読んでも、大悲が智慧に裏付けられたものであることが分かりますね。
上記はチベット訳を書いたものですが、日本語訳の倶舎論の中にも同様のものがありますので、参考にしてください。