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常不軽菩薩のこと

   


 これは法華経に説かれている話ですが、常不軽菩薩という方がありました。
法華経には、仏性という言葉や如来蔵という言葉こそ出てきませんが、その思想は、如来蔵思想であるわけです。

 以下、常不軽菩薩という方を紹介しますと、

 この菩薩は、どのような人でも敬って礼拝をされていたそうです。

「私は心からみなさんを敬い、軽慢(きょうまん)いたしません。みなさんは、全ていずれ菩薩の道を学んで、仏になる方だからです。」

と仰ったそうです。

 私たちにいろいろなことを教えていると思います。
特に浄土真宗の方は、凡夫丸出しで他宗派を批判してみたり、同宗派内でも他を批判するのが好きですね。それでいて、仏教非仏説のような話が出ると信仰がボロボロになってしまいます。

 一方禅宗の方などは他の批判などにかまけていませんし、今は達磨大師が本当にいらっしゃったのかにも疑問を投げかけられていますが、修行者の方は、そんな議論はどこ吹く風で全く気にされない状況です。

 私たちは、こういうところを見習わないといけないですね。私の先生はこの話を時々されました。

 また、人をあまり軽んじていけないという点では次のことが言われています。
これはチベット仏教の先生から聞いた話ですが、

その人がもしかしたら、菩薩様かも知れないので、他人を軽んじてはいけない

というものでした。これも同じ話でしょうか。私たちは日ごろの生活の中で大きな間違いをしていないでしょうか。反省するべきだと思います。

 また、以前、固定的に人を判断してはいけないということも書きました。結局無自性ということは、人は変わり得るということです。たとえばある人が悪を犯してとても評価できないということがあったとしても、それはそれとして、先々まで固定的に決めつけてはいけないのです。その人はいずれ回心して、変わる可能性があるからです。

 我々は一乗仏教を学んでいます。一乗仏教の精神はまさしく如来蔵思想であり、まさしくここにあるわけです[1]三乗仏教の場合は、五性各別といって、永遠に救われない人をあげますが、一乗仏教は最終的に皆仏になると教えています。


脚注

1 三乗仏教の場合は、五性各別といって、永遠に救われない人をあげますが、一乗仏教は最終的に皆仏になると教えています。

 - 浄土真宗